週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に生まれる。
1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
岩井康頼氏、村上善男氏に師事
2000
美学校 小沢剛トンチキアートクラス入校
2001
ターナーアクリルアワード2000展入選
7月 個展(寺島文化会館・千葉県柏市)
タイムラグ・ラグタイム展(八戸市美術館)
2002
個展多数
10月 土佐正道氏と青い部屋でパフォーマンス
11月 方法詩人、松井茂メルマガ「5日ごと」ゲスト
2003
個展多数
8月 方法詩人、松井茂氏と「8」結成
10月 ソングピクチャーズ(WINDS CAFE・吉祥寺、出演石渡玲玲、愛甲雅美、篠崎智)でインスタレーション担当11月 
個展(Gallery ART SPACE LAVATORY)
リサイクルアート展(スパイラルガーデン)
2004
個展多数
10月 北総ラリーアート 企画、展示
2005
個展多数
2月 「Reading room」(Bank ART ・横浜)
3月 前橋アートコンペライブ グランプリ

4月 「浜竹と竹本」展(横浜 北仲WHITE)
   ZAIMオープニングフェスティバル(横浜 ZAIM)
8月 山野真悟事務所、村田真氏と「MA」を結成。
10月 「ピンクリボンキャンペーン賛助作品〜結ぶといふこと/ピンクリボンの場合〜」(横浜 ZAIM)
2007
2月
「竹本真紀と松澤宥展」(横浜 ZAIM)
3月 「ZAIM de Festa」内でインスタレーション
   「竹本真紀と石渡玲玲展」
4月  「竹本真紀となぎゆうや」展
   横浜市桜木町ちぇるる野毛で壁画制作と展示。
6月  開港祭、臨港パークでライブペインティング

友達の兼平彦太郎くんがキュレーションした展覧会「Art&Breakfast|Midori Mitamura」を見に行く。
この展覧会は谷中の屋上のラクダが目印のHIGURE 17-15 casで開催されている。5月18日(日)までで、それまでの間常に三田村光土里さんが制作している。
どんどんいろんなかわいい小物などが増えていく展覧会で、ついつい長居してしまう。最終的にどんな形になるのかとても楽しみ。
HIGUREは、わたしがアルバイトしていた美術施工業者東京スタデオの工場だったところ。
第一回目の横浜トリエンナーレのボランティアスタッフ(そのときはサポーターとはよばれていなかった)や、事務局スタッフがトリエンナーレ終了後に行くあてがなくなってしまうということで、そこを拠点にしようとお掃除してギャラリーにした場所である。
わたしにとって東京スタデオという場所はあまり居心地のいいものではなかった。
小沢剛さんが、東京スタデオの現代美術班であり、HIGUREをつくった人でもある小澤さんを紹介してくれて働くことになった。
この最初の紹介がいろいろとくいちがいがあり、小沢剛さんが「おれにまかせておけ!」と言いながらとっても頑張って「どうしても使ってほしい。」と頼みこんでくれていたということと、(このことはかなりあとになってから東京スタデオの小澤さんから教えてもらった。)わたしが小沢剛クラスで「しまだ」というあだなをつけられていたので、「しまださん」と、紹介されていたこと。(剛さんに「わたし竹本ですよ。」というと「しまった!そうだった!」と頭をかかえていたが)と、いろんなことで、相当たよりない変なやつが来る印象を逆に与えてしまっていたようで、オペラシティで風船のオブジェの空気をぬくのが最初の仕事だった。
なかなか本線の仕事はさせてもらえず、ひたすら掃除をしていた。
女ということもあった。あとから入った男子たちは普通に工具を持たされて仕事をしていた。
ときには「何もしなくていい。」と言われ、悔しくてこっそり泣いた。
しかし、ほかの現場に行ったときに、「みんな最初はお掃除なんだよ。お掃除をしながら現場で何をやっているのかよく観察するんだよ。」と教えてもらった。
いきなり仕事をさせられる人よりもお掃除を耐え抜いた人はかならず仕事ができるようになるのだと。
一生懸命お掃除しているうちにほかの班によばれるようになった。
国立西洋美術館などの古典美術班だ。
ここには本当に信用された人しかよばれない。
ここの班によばれるということで、他の班の信用も得ることができて、現場によばれる回数も増えた。
わたしは仕事としては、わけのわからないボランティア感覚の人がうろうろする現代美術班(このときの印象がそうだった。)よりは古典美術班の方が合っていた。
しかし、現代美術の方でもシビアな仕事でよんでもらえるようになっていった。
わたしは現場に出ることと、帰って自分の制作に打ち込むことを中心にしていたので、世横浜トリエンナーレ施工後の飲み会にも出ずに帰り、HIGUREを手伝うこともなかった。
とにかく、東京スタデオ小澤さんの仕事の進め方というのが納得がいかなかったのと、自分の制作と東京スタデオでの仕事内容が近すぎるので、ごっちゃにしたくなかったということもあって、HIGUREには行かなかった。
でも、小澤さんはHIGUREに来てほしいというので、行ってみると、その場所に思いいれの強い人たちによそもの扱いされてしまった。
しかし、東京スタデオから離れるちょっと前に何日かよくHIGUREに行き、小澤さんと本音で話をすることが多くなった。
それから山野事務所の仕事を一緒にしたり、東京スタデオを離れてからも何かしら会う機会はあった。妻有に横浜市の方や山野さんとナウインの作品を取り付けに行ったとき、手動のタワーを借りたが、「ご褒美。」といった雰囲気でヘルメットと安全帯をくれた。もらっても困るのだが、たぶん何かを認めてもらった気がしてアトリエに置いてある。
「もらったよ。」と、山野事務所に滞在していた安部泰輔さんに言うと、「今までみたことないくらいすごくうれしそうな顔しとるぞ。」と言われた。
今では、人の体制も代わって、兼平彦太郎くんがHIGUREのコーディネイトやキュレーターをやってきりもりしている。
ひこくんとも、美術施工がきっかけで仲良くなった。
時間がたってやっと行けるようになった。
冗談で、「真紀!現場行くぞ!」と、言いながらその日も小澤さんは現場に向かった。


三田村さん制作中のシャンデリア。
http://higure1715cas.bufsiz.jp

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