週刊「÷3」

TEXT by Maki Takemoto

竹本真紀 profile
1976
青森県八戸市に看護婦の母とバンドマンの父の間に生まれる。

1992
中学校卒業記念イラスト展 (八戸NHK)文化センター

1994
バンド「根城パラダイス」(八戸西高等学校体育館で一度限りのライブ)

1999
国立弘前大学教育学部小学校教員養成課程卒業
美術科卒業制作展(弘前大学学生会館、弘前VIVRE)

2000
ひいらぎ展 (柏高島屋ステーションモール市民ギャラリー)
美学校トンチキアートスクール入校 千葉県柏市在中


情報がほしいと思って歩き回っていると、自然と情報が集まるようになってきて、周囲の人間もなにかしら動きがでてくることがあります。
「革命」についてどの切り口から入ったらわからないので、取り敢えず、雰囲気だけを周りに話していたら、だんだんと焦点が絞られてきました。
また、それに関する方々と出会う機会も増えてきて、なんだかいい感じでまわってきました。
そして、今では革命のにおいを感じさせないような人、おだやかな表情のおじさんや、企業でサラリーマンをしている方々などが実は当時かなりの暴れん坊で、びっくりするような情報を持っていたりするわけです。
現代は無血革命の時代。海外の武装集団も近日、武力解除宣言をし、政治的、または文化的な活動での主張をするようになったそうです。
ではわたしたちは何をするのか、というと、わたしたち美術家は現代美術(仮にここでは現代美術という言葉しか使うものがないのですが)の社会的重要性を隣の八百屋のおばさんにも説明できなくてはならないわけで、わかりやすい形で、周囲が賛同したくなるような形態の主張をしなければならないのです。
「美術を勉強しても美術はできない。」という村上善男氏の言葉ではないけれども、美術の中で行き詰まりがあるのだとすれば、あらゆる分野からアイディアをいただかなければならないときがあり、つまり、自分の中で飽和状態になってしまったときに何か答えを探すべく、「書を捨てよ、街に出よ。」という感じで歩き回って日に焼けてしまった今日この頃なのです。
わたしは政治的な活動をするつもりはありません。ただ、革命は政治的活動によって行われるのではなく、わたしは文化的なものが、政治や様々な境界の合間をすり抜けるようにして人々に浸透していくものではないかと思っているのです。
上からものを言われるより、底辺から自然と浸透していくことの方が長い目でみると近道なのではないかと思うのです。
そんなことをわりと幼い頃から思っていましたが、最近のわたしの傾向として、自分の発想と相反するものに対しても理解を深めたいと思うようになりました。
相反することに対しての自分の思い込みです。本当の所はどうなんですか。と、その根底にある意思を知りたいと思うようになったのです。
多くのことを話さなくても、その人に会っただけで、その人のバックグラウンドや情報が何かの回路が合ったときに言葉とは違う媒体でわたしの中に入り込み、その人のことが理解できてしまうことがありますが、「その人」論を読むよりも人物に会ってしまった方が早い場合があります。
例えば、わたしにとっての松澤宥氏がそうでした。会う前に勉強してから行きましたが、会ってすぐに松澤氏のことが感覚的にわかったのです。難しい理論や言葉、知識量は松澤氏の何十分の一でしかないであろうわたしに、言葉とは違う状態で流れこんできたのです。松澤氏とかわした言葉はいたってシンプルなものでしたが、お互いの感覚でなぜか通ずるものがあったのです。
だから今三島由起夫の本を読みながら思うことは、本人に会えたらすぐにわかることがあるのに。という歯痒さがあります。
ただ、生前の三島をみていた方とはお会いできそうです。
わたしは、本からも情報を得ますが、会って、本以上のものを体内に構築していこうと思っています。
そのうちどこかの政治団体に勘違いされて銃撃されたり、刺されたりすることになったら、そういうことも考えて作品を作っておけば、死後、偉大な遺産を残せるかもしれませんね。

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