Enjoy our Art Life
■ Fragments I
O:eri otomo wrote
T:Toshiya Noda wrote

T:raphic Wave 2003のカタログ、ありがとね。ギャラリーへ行った?銀座グラフィックギャラリー(*1)ってCCGAと同じ系列なんだよね。

O:展示見たよ。お客さん多かった(笑)野田凪はきれいでちょっとセンセーショナルなビジュアルだけど,あまりいいと思えないな。YUKIのビデオ(合わせ鏡みたいなやつ)はパクリでしょー(*2),とかね。他の二人はなかなかよかったね。日光江戸村のちょんまげ犬の着ぐるみが棺桶みたいなアクリルケースで展示してあった(笑)カタログね,CCGA行った時に購入できるかな〜と思ったら暇なくて,銀座で購入。

Tたまにはいいでしょ。デザインの展覧会も。クライアントワークはアートのように独りよがりでは通用しないので、プレゼンテーション、人に伝える(ここはアートとも共通かな、でも、アートは伝わらなくても成立しうるからね)ということへの意識レベルやクォリティの突きつめかたがすごい。YUKIのビデオ見てないけど、恐らくそこまでのクオリティで映像作品作れている作家っていないよね。少なくても、前にみた、girl
×3(*3)や伊藤存(*4)の映像は見るに忍びない。girl×3で特に思ったのは記録映像の多さ。記録映像は作品なのか?撮りっぱなしのホームビデオを見せられているようで見ようという気にすらならない。伊藤存の映像は、「映像作品=技術とお金がない」という印象を浸透させてしまいそう(あまりにもあの程度のクオリティのものが多い)な気がしてしまう。日常で、テレビやビデオ、映画なんかで普通にハイクオリティなもの接しているので映像作品はどうも苦手。

O:確かに一般市民の目には,ハリウッド映像の高度なCG映像が当たり前になってるからねぇ。でもそれをアート業界で実現するには,ほんと売れっ子になって資金が集まるようにならないと。。。「クレマスター」のマシュー・バーニーみたいにさ。

T商業的な映像とビデオアートを比べるのはアート、ディズニーランドのアトラクションを比べるようなものだけど、映像作品として出荷しても大丈夫な最低限なクオリティの意識はするべきじゃないかなぁ。それが、ホームビデオを制作する必然性があるならともかく。最近はビデオカメラ、コンピュータの発達で手軽に編集とかできるようになって一人で「映像」を作ることができるようになったけど、やはり個々の専門性は高く、照明、音声、撮影、編集など、それでいいのか?というお手軽ビデオアートが多いと思う。同じホームビデオメイドな映像でも、少し前のTBCのCMでキムタクとその恋人役の娘が互いに撮りあったホームビデオという設定のものがあったが、たった15秒で消費者の心をわしづかみにできるクオリティというのもあるのだ。

O:伊藤存のアニメは手書き風・フィルム風だとしてもちょっと画質が汚かったね。確かに「金かけずに作ろう」というのが映像に表れてる作品多いし、アーティストだけでなく美術館学芸員の認識も低いんじゃない?容認して平気で展示しちゃうあたりが。

T表現方法の多様化で作品を実現させるにもお金がかかるようになってきたと言える。だから集金能力も作家の力量のひとつと言えるってことだ。お金がないからこの程度・・・というのは自分をプロデュースする力がないということだね。
あと、ついでに気になるのが、日本のビデオアートで人物が登場する場合、その多くが作者自身であるというのも気になる。そこに必然性を感じるものも多くないような気がする。そこに演技や特有の能力が必要であるならば、演技のプロフェッショナルなどを登場させるべきだと感じてしまう。girl×3のタニシKの作品はその最たるモノだと言える。電車の中で、飛行機の客室乗務員のような作家自身がサービスを行う。恐らく作家自身はプロの客室乗務員ではないだろう。その行為のどこかに照れのようなものを感じてしまうし、その接客も手慣れたモノとは言えない。。よりよいサービスで快適な旅を提供することがコンセプトであるならば、接客
のプロが行うべきである。そこに漂っていたのはどこか身内のりの照れみたいなものだった。映画は総合芸術であると昔から言われるが、まさにその通りである。先にも述べたが制作サイド、演劇サイド、数多くの役割があり、それぞれ専門性が高い。にもかかわらず、便利さ安さにまかせて全部をひとりでやってしまおうとして、ホームビデオレベルの映像作品が多く生み出されているように思う。

O:私は必ずしも自作自演を否定しないよ。作家がその意図を表現するにあたって作家自身が出演することで場面をコントロールし易いこともあるし,コストの問題もある。パフォーマンス系の作品に限って言えば,作家自身が何か行為をするところから始まっているから,モデルや役者を使う起用するようになったのはわりと最近のことだと思うな。役者に演じさせるという発想はまだあまり定着していないかもしれない。物語を構築する類の作品になるとまた違うけど。で,girl×3のタニシKの作品だけど,私は基本的にあれはパフォーマンスで映像はその記録と捉えてる。公共の場における作家の異質な行為によってハプニングを起こしていくものでしょう。確かに接客は上手とは言えないけど,問題は乗客の無反応とかネガティブな反応に対して作家が戸惑ってる素が見えるからじゃない?女優になりきれてないというか。カッコよくソツなく通してほしいよね。ドイツや韓国で土地の言語でサービスしてたのは作家根性だなーとちょっと感心したけど。あと,航空会社を装ったあの展示は単に空間を埋めるためだけみたいで,今イチ。役者を投入するのも面白いと思うけど,違った方向へ展開するだろうね。それこそ架空の会社化したりして。

Tもちろん、作家自身が登場することに必然性があればそれはオッケーだと思う。ただ、そこでパフォーマンスするときにどこまでパフォーマー自体の意識やそのパフォーマンスに対するスキルが高いかによって作品のレベルが決まってくる。例えばアートとは違うけど格闘技の映像を見たとき得られる高揚感は(もちろん個人の好みはあるが、最近のテレビでの扱いを見ていると一般層に確実に指示を得ている)極限までに肉体を鍛え上げた選手同士の戦いがあるからである。この場合、その競技(ショー的要素云々以前の問題として)は生死にもかかわるので肉体の鍛錬に対する緊張感は半端じゃないはず。それを思うとタニシKのパフォーマンスや身内を集めて作ったような映像作品に漂う「なんちゃって感」は私にはNOなのである。

O:でも,プロジェクト型の作品が増えてきた流れで,それをどう展示の中に再構築し伝えるかというのが課題の一つになっているよね。多分,より3次元に近いメディアってことでビデオ映像がよく用いられるんだろうけど,実際は,一番面白い段階から記録というか映像に落とすと,リアリティとか興奮度がちょっと薄れる場合が多い。撮影や照明や編集とか,ひと手間かけるだけで随分違ってくるのかな。(料理みたい?)私の場合,そのへんの不満足感が去年やった「LIVE」のように“作品を生もので見せる”っていうコンセプトへ向かったと言えるな。

Tそもそも、プロジェクト型の作品であるならば、そこで完結してしまったほうがいさぎがいいのでは?何かそれらを見ていると最初から、プロジェクトそのものより記録を作ることに重点が置かれているように思う。で、最終的には「展示は記録です。」では本末転倒だよ。プロジェクトそのものこそが作品だったはずなのに、いつのまにかフォーカスがずれてる。実際にプロジェクトに参加できた人、その記録しか見ていない人の両極化は見る者の温度差を生む。もちろん記録を作ることは重要ではあるけど、girl×3では意識があまりにもそちらにシフトしすぎてるんじゃ?

O:日本の美術館は,美術館外でプロジェクトやりたがらないよね。あくまで展示室にモノを持ち込むことを目指すから,最近の現代美術のスタイルに対応出来ないところがある。柔軟性に欠けるというか。そのクセ,展示空間をどう“埋めるか”という問題にすり替わってしまったり。学芸員が守りに入っちゃ新しいこと何も起きない。法律の規定が公立美術館を不自由にしている面もある。ベースは「展示・収集・保存」だからねぇ。外と提携したりしてもっと面白いことやってほしいな。そうは言っても,課題と書いたのは,プロジェクト現場を公開するのが難しい場合もあるから。それをどう美術館に持ち帰るか?リチャード・ロングとかハミシュ・フルトンがスタジオの外へ出た頃からつきまとっている問題でしょう。でも最近,ビデオが手軽に扱えるようになって,みんな映像を過信しているんじゃない?映像がオーディエンスの時間を拘束する面もあるし,あまり安易な使い方してほしくないな。

T戦後にできた「博物館法」のなかの美術館だからね。今の時代と合わないのは当たり前。だけど、それはそれで重要な役割で必要だと思うよ。それよりも新たな受け皿を期待したい。不況と言えどもなぜか、文化施設はどんどんできてるし。何も「美術館」や「美術業界」という狭いカテゴリーのなかに収まる必要もないしね。むしろそこ意外へコミットしていかないと、アートやアーティストにも未来はないんじゃないかな。

(2003年9月〜10月に交したメールより抜粋)

*1「Graphic Wave 2003 佐野研二郎 野田凪 服部一成」2003年9月3日〜9月27日 銀座グラフィックギャラリー

*2 Daft Pank/AROUND THE WORLD(1997), The Chemical Brothers/LET FOREVER BE(1999)。
いずれもプロモーションビデオの監督はMichel Gondry

*3「ガール!ガール!ガール!」2003年8月5日〜10月15日 東京オペラシティアートギャラリー
 
*4「伊藤存 きんじょのはて」2003年9月5日〜11月24日 ワタリウム美術館

大友 恵理/Eri Otomo
目下のTo Do List:
・「ブラインド・デート」展の日本巡回 www.blinddate-art.dk
・「ワークショップ・プログラム・バンク」あるいは「アーティスト・バンク」構想
・“秩序”をキーワードとする展覧会

野田 利也/Toshiya Noda
企業等のウェブサイトの制作、管理に精を出す日々。

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