「ニューデリー便り」
jan./feb./mar./apr.

TEXT by Mitsuhiro Okamoto


作品:W#62「ドザえもん in 善知鳥神社」

岡本光博 profile
1968年/京都府生まれ
1994年/滋賀大学大学院教育学修了
1994〜96年/ニューヨークに滞在、制作
1997〜99年5月/CCA北九州にて、研究、制作
個展
1990年/「無きにしも有らずんばやむを得ず」
     ギャラリー射手座(京都)
1991年/「人面譜」
     アート・オブ・トリコロール(大阪)
1992年/「FACE YOU ! 」
     ヴォイス・ギャラリー(京都)
1993年/「有題」
     秋山画廊(東京)
1994年/「十年再現」
     地蔵院・千本ゑんま堂(京都)
1996年/「FUJIYAMA GEISHA series」
     京都市四条ギャラリー
     「多元的文化主義の肖像」
     CITY GALLERY I.M(大阪)
1997年/「HINOMARA」
     ギャラリーココ(京都)
     「Goshinei」
     ストリートギャラリー(神戸)
     「Japanese Minimal Painting」
     ストリートギャラリー(神戸)
1998年/「日本画」
     MOMAコンテンポラリー(福岡)
     「Fenochio !」
     ギャラリーココ(京都)
1999年/「Mirror/Painting 1991-1999」
     MOMAコンテンポラリー(福岡)
     「Sports/Sex/Screen」
     複眼ギャラリー(大阪)
その他グループ展、舞台美術など多数に参加




上記3点
岡本光博展
「Myself / Mandara / Maltiple」
2000年12月12日(火)〜24日(日)
ギャラリーそわか/より


April3new!(4/9更新)
@ いよいよタジマハールに行く。個展の出品作の一つにタジマハールを描いたものがあり、制作中に複数の作家から「本物を見てから描いては?」と薦められたが、TVや旅行ガイド本など幾多の情報で既に頭の中にはタジマハールの虚構があり、あえて虚構で描くことにしたことと、もう一つの理由で、あえて見ないようにしていたので、思い入れは相当なものである。実物はやはり美しい。正面の門をくぐって立ち現れる瞬間はやはり圧倒される。世界中から取り寄せた一級の材料と当時のトップの建築家もまた世界中から呼び寄せて、何十年もかけて作らせたそれはやはりかなりいってると思う。
@ 今夜のデリー発の便でいよいよインドともおさらばであったが、最後までインド的なるものに巻き込まれてしまう。列車は平気で数時間遅れるのでキャンセルし、政府系バスは体力を消耗するので止め、最も安全と思われた19:30にデリーに到着予定の直行プライベート・バスを前日に予約しておき、事務所に15:30の出発時刻に間に合うように行くが、全く出発の気配が無い。16:00頃ようやくバスのところまで行くが、バスはタジマハールのツアーバスであり、まともな席が残っておらず、事務員に抗議し、用意させる約束を得て、バスの中で待ってすでに17:00。インドは何が起こるか分からないので余裕を取っておいた2時間が残り30分になる。最悪21:30にはタクシーでアートセンターに荷物を取りにいかないと空港に22:00には間に合わない。事務員にそのことを告げるとバスは22:00以降にデリーに着くらしく(デリーから空港は1時間かかる)、間に合わないと事務所に戻される。3時間で着く直行バスがあると責任者が言うので、政府系バス乗り場に行き、車掌に直接確認すると5時間はかかるという(確認しなかったら間にあわなかった)。すぐに事務所に戻り、その事を批判し、タクシーを手配するように命令するが、かなりの高額の料金になり、その支払いはもちろん彼らが持つべきであるが、責任を認めようともしない為に、押し問答になり、すでに17:40。本当にブチギレ寸前であったが、腹に背は代えられないので、半額で許してやる。ようやくタクシーが来たが、最大4時間かかるらしく、しかもストで他の州のタクシーはデリーに入れないのだという。既に奇跡が起こらないとフライトに間に合わない状態であるがとりあえずデリーに向かう。古い車ではあるが逆流してくるトラクターや牛を避けながらハイウェイを必死に飛ばしてくれる。そしてデリーからめちゃ早いオートリキシャにめぐり合う。結果、空港使用料の支払いの為の両替で手こずり、チェックイン出来たのはフライト30分前であったが、なんとか間にあった。最後まで「めちゃめちゃなのに最後にはなんとかなるインド」であった。
April2new!(4/9更新)
@ ケオラデオ鳥類保護区へ行く。インドには動物保護区がたくさんある。ガイド件シーク教リキシャマンとともに半径11キロの敷地の中央まで行き、戻るというコース。思っていたほど多くの種類は見れなかったが、時期的なものや様々な要因で状況は変わるのだろう。インド産ビールの名前だと思っていた「キングフィッシャー」がめちゃ奇麗な鳥であることを知る。めったに見ることが出来ないというラッキーバードが3回もでとるし、少々シーク君を疑いながらも、楽しめた。
April1new!(4/9更新)
@ ホテルの壁に直接描かれている地図をノートに写し、シルクロードの交易で富んだ商人の屋敷に残る装飾(ハビリ)を見に行く。かろうじて原形をと留めているバスとオフロードコースのような悪路に揺られ、ファテプーリから60分、最も多くのハビリのあるマンダーワという町に行く。いつのまにか、あるハビリの方向を聞いただけのオヤジがガイドとなり、現在は庶民が住みついているハビリにドカドカ入って行く。50以上あるとのことだが、2つ見た時点で、あまりの拙さに「だめだこりゃ」という気持ちで一杯になるが、こんなド僻地に来た以上、そのオヤジに身をゆだねる。インドへ来たばかりの頃、インドの画家から、「ペインターならば見なければならない」と言われ、ペインターでは無いのになーと思いつつ、ずっと気になっていて、ついに決心したが、無駄足だった。その画家が日本に来た時には、とんでもない僻地のヘロヘロ・ペインティングを御薦めしよう。
@ 田舎にくると原形を留めていない2ルピーや5ルピーの金額さえ見えないほどのボロボロの紙幣が廻ってくる。トランプの婆抜きのようなもので、受け取ったら最後、誰にも渡せない。おそらく紙幣ボロボロ度もミスユニバースのように世界一だろう。

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