PORT PEOPLE
往来
塩田和孝
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重森三明
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キャンディーファクトリー
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1. PORT PEOPLE 3号倉庫(スタジオ、レジデンス)20号倉庫(展覧会)、N-mark
(ドキュメンテーション展示)3個所の場所と機能とアーティストのスタイルによって、思い思いの展示やプロジェクトが展開された。
2.artport’99 名古屋港保税管理区域内の空倉庫実験的活用プログラム。第一回目は芸術活動を中心に、3号倉庫1F〜3Fをスタジオとし、20号倉庫南室を展覧会場(media
select,遊びの倉庫, given)北室を短期イベント会場として使用した。
3.given 7つのグループがそれぞれの企画でリレー式に展覧会を行った。
4.”Act Locally ” “Think Globally, Act Locally” マクルーハンの有名なお言葉。
5.1999年6月28日 熊野谷 毅 Port People 活動日誌より抜粋
6.こうま荘あの夏私はかなりの頻度で港に足を運んでいたが、最後まで彼らに遭遇することができなかった。彼らは、一般には公開されることの無い3号倉庫まで、隔週で新作を設置するために北九州から通っていた。
7「ツナメリ」.塩田の潜水報道記録は、PORT PEOPLEサテライトのN-markでのドキュメンテーション展示会場で見ることができた。 |
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PORT PEOPLE は artport’99 の given 第一弾として、名古屋港20号倉庫において行われた3日間だけの展覧会であるが、実状としてはN-markの企画・運営によって、展覧会という枠だけでは納まりきらない多重構造
のプロジェクトとして展開した。プロジェクトに荷担した人々、すなわち武藤勇によってポート・ピープルと呼ばれることになったアーティスト達は、日本各地から名古屋港に集まり、およそ50人を数えた。
リストには参加アーティストの名前が出身地と共に記してあった。これはN-mark自体の活動にも共通する、武藤流の”Act Locally
” の意思が強く表れている。彼の地元であり生活圏である「名古屋」をより意識し盛り上げていくためのチップである。私はその大半の人々を知っていたのでN-markや武藤との繋がりを読むのはたやすかったが、一般には不思議なラインアップに映っただろう。
それにしてもこれだけの人数の、年齢にも活動にも結構幅があり、しかもほぼ出荷前のアーティストを一堂に見る機会などさほどないし、少なくとも名古屋では前例がないだろうから、ちょっとわくわくするよねと思っていた。
この期待感は、参加アーティスト達にも同様にあったのではないだろうか。プロジェクト開始直前の3号倉庫では、咽るような大豆の悪臭と梅雨の蒸し暑さと、そして長年降り積もった真っ黒なホコリに塗れてドロドロになった、小川、北山、百合草、キム、溝口そして武藤が掃除をしていた。いくら掃いてもきれいにならないとぼやきながらも、巨大な、まだからっぽの空間の中で、その姿は何気に楽しそうであった。さらにartportのオープニングを境にアーティストが一人、また一人と集まり始め、倉庫の中にスタジオとしての各々のテリトリーができつつあったが、熊野谷の到着でその場は一変する。
1999年6月28日
とりあえず今日から住みます。フロに行ってきます。
荷物を広げてフトンをひいて寝てみました。
AM 3:30 熊野谷 毅
熊野谷毅はがらんとした倉庫の南側の大扉脇に茣蓙をひき、テレビ、ビデオ、ファミコン、衣装ケース、布団などを運んできた。大扉を格納する木の柵には物干し用のロープとハンガーを吊るし、とりあえず、一人暮らしに必要なものは全て6畳ほどのスペースの上に詰まっている。あまりにも大きな箱と中身のスケールのギャップ。結構、インスタレーションがきまっている。でも、何といってもメインは快適な住空間、茣蓙の上は日々様子を変え生活感が強まるに連れて互いの空間に融合していった。さらに、松原がやってきて、北山のリビング(?)と共に倉庫の中はますますレジデンス色が強くなる。
サスキアの来日と講演会の準備のため2日ほど3号倉庫に行かなかった。その間に関東、関西、九州その他の地域から続々とアーティストが到着しており、手前の部屋も奥の部屋も作品と、そのパーツと、寝床とが入り乱れ、さながら非常事態下のキャンプの様になっていた。
夏とはいっても、堅くて汚いコンクリートの上にマットやビニールシートを敷いただけで眠るのはどう考えても体によくないし、中には簡易寝具を持参していて「快適だ」という人もいたが、長期滞在者の一人松原が途中で腰を痛めて帰郷したことからも条件の悪さが窺がえるだろう。もともと、3号はあくまでも24時間使用可能なスタジオとして提供されており、宿泊していることは公にできないので、その点に関してアドミニストレーターを責めるわけにもいかなかった。されば、こんなにも悪条件なのに、彼らは何に惹かれて、何を期待してここまでやって来たのだろうか、N-markからこのプロジェクトがどのように各アーティストに伝わっていたのか定かではないが、本音が聞きたい。
同じ日の午後、サスキアが3号倉庫のスタジオ・ヴィジットをするというので同行した。 3FのN-markのスタジオに到着してまず驚いたことは、朝あれほど雑然とごった返していた空間が、コンテンツはそれほど変化していないのに、一気に展覧会の空間に立ち上がっていたことだった。次に、これだけの大所帯である、作品のテリトリーが非常に曖昧というかオープンなものも多く、重なり合ったり、取り込んだり取り込まれたりしながら、それが鬩ぎあうというより、自然に応えあっている感じで面白かった。
主犯はcandy factoryの”Euro-trash-garden”三彩をほどこした家電や洗面台、それに愛敬たっぷりのゴールデンレトリバーのUooと、その複製、ロウで型取りしたものを庭に配石するように置き、白い花とチョークで書かれたテキストがそれらを取り巻くように床を這う。さらに、西洋の美術館やアートインスティテュートに対して書かれたテキストが床一面に散らしてあったので、サスキア苦笑の一場面であった。
そんな折り、目の前を音も無く通り過ぎていく作品があった、清水克久のインスタレーションである。10mほどの極細チェーンの両端に銀色のヘリウム風船が付けられたシンプルなものだ。それが風に乗って漂っているのだが、二つの風船の動き方によって、下に垂れている銀の鎖が
床を這ったり、地上30cm位のところに緩やかな弧を描くのが美しかった。 宮川敬一の作品はウディチコのホームレス・ビィークルを思い起こさせるが、会場に絶妙にマッチしており、夜には自ら使用してこの混沌のなかで自己を守っていた。奥の部屋では、スタジオとしてこの場所を活用している小川良子が、壁に張った布からはみ出してそのまま大胆に壁や床にまでシルクスクリーンでパターンを写し、百合草尚子は「大豆にちなんだ絵」醤油、味噌汁、豆腐などを壁に残った木枠の中に描き続けていた。「赤みそ+白みそ=ピンクみそ」(?)とか、無邪気なんだか呆けているのか深くは追究しないが、この場所のコンテキストを作品に盛り込んだアーティストの一人であった。
この空間を活かした作品には若林雅人の「光の行方」もあった。ビデオの作品であるが、そこで目にするパフォーマンスは鮮やかである、光の灯った電球を男が振り回し、手と電球との間にあるコードが徐々に伸び、最後は壁にクラッシュして光が消える。結末を簡単に予測できる簡潔なものだが、初めはゆるやかに段々スピードを上げながら光りは廻る、光源が旋回することによって、中心に立つ男の影がその男を取り囲んでぐるぐる周っているかのように壁に映し出される。その影はコードが伸びるたびに巨大化し、コードを振り回すスピードとその音が空間の緊張感を一層高めている。
一日だけのプレゼンテーションということが、アーティストのエネルギーを集約させていたのだろうか、翌々日、多くのアーティストが帰ってしまうと、まだ夏の初めだというのに、港の風景がやけに淋しくなってしまった。
それでもポートピープルの往来はまだ続いていた。誰かが去れば誰かが訪れる。熊野谷が一時帰宅すると、代わって塩田が海を目指してやって来た。そして、九州からは片道700kmの道程を隔週で往復する、こうま荘という伝説のグループ
も現れた。 お盆が過ぎ、猛暑の中にも秋風の匂いが混ざり始めると、港はまたポート・ピープルで賑わってきた。いよいよ20号での展覧会である。20号でのPORT
PEOPLEにはより多くのアーティストが参加していたし、この夏のメインイベントと心得ていたのだけれど、いざ幕が下りると、何となく、行き場を失ってしまうような感じが否めなかった。…もしかしたら私の期待が大きすぎただけなのか、もっと無茶苦茶やってくれると思っていたから、何だか物足りない気分だ。
空間が大きすぎるのか? 薄暗いせいだろうか? それとも夏バテか? 自己を全面に押し出すよりも隙間へ隙間へと入って行くような感覚、今風の浮遊感ではあるが、巨大な自由に使えるスペースに溺れてしまいそうだ。
松原妙子の作品もまた、敢えてその存在を誇示するようなものではなかったが、北室と南室の間にある正面入り口の受付横の場所を選んだことで、日常の風景に溶け込みながらも、自立したユニークな作品になった。
「この夏なにもなかったあなたへ、7台の恋人差し上げます。(1名様のみ)TEL090-29…」無造作に並べられた7台のスクーターにこう書かれた張り紙をして、ウクレレを奏でながら、該当者を待っていた。7台のスクーターは、松原が長年愛用していたピンクのスカッシュと、港に滞在しアルバイトをしながら名古屋の中古車屋で買い求めたものたちである。1台づつ集め、そしてナンバーも取得した。いつでも、その日の気分で乗り換えられるように。乗り物というのは、占いなどでよく異性のメタファーとして用いられることがある。この作品は、ある感情への自己確認と、複数の関係を同時にこなしたいという欲求によって、現実には思いはばかられる七股という状況をスクーターに投影したものだ。自ら「ソフトパフォーマンス」と呼ぶメソッドで、ばからしさを真面目に演じ、ひと夏のエピソードを創るために。
南室に入ると、まずは岡本光博の「NS#109 日本画22」に迎えられる。TVのショー番組の審査員達が静止画で描かれ、「10点、10点、10点…」とヒステリックに叫ぶ声が絶え間なく続く。唯一、アコースティックで20号の空間を支配していた作品である。奥の小さな部屋で自分の空間だけをコントロールしようとした、守章の「hello
darkness my old friends」は視覚的に無の空間に音楽だけを満たすインスタレーションで、岡本の作品と好対照であったが、残念ながらテクニカルな問題と20号の喧騒とにかき消されてしまった。
塩田和孝の「ツナメリ」は天井に取り付けたブイからサンドバッグが釣り下がっている作品で、単体の彫刻的にも見えるが実は最も20号の空間を意識したインスタレーションであったように思う。真っ黒な皮のサンドバッグは下部が床につき、斜めに傾く重量感が、力も動きも失なったボディーを思わせる。暫く見ていると、自分自信が海底に沈んでしまったかのような気分になってくる。塩田の潜水経験
が強く影響した作品である。 20号では、普段の自分の身の回りの生活空間と巨大な倉庫の空間を結び付けようとするアーティストも多かった。渡辺郷は北九州での生活の拠点となる「前田スタジオ」という名前を、蔦谷楽は「Great
Harmony」の中で終日トイレを改装するとある彼女の一日を、それぞれ切り取って持ち込み、キム・キョンヂャは極めてプライベートな入浴の時間に撮影した写真をランドスケープとして提示した。福本晶子と八木奏もかつて自分のスタジオで行った「tea
room 17」というプロジェクトをより大きく展開し、無国籍アジア風の佇まいのティールームは、倉庫の中を漂う観客達を潤す島となった。
ティールームで足を止めると、ガードマンの姿をしてミニチュア金鯱号を頭に被った熊野谷毅が目の前を通り過ぎる、そしてとなりで北山美那子がラジオショウを発信している。一方に自ら波紋を広げるアーティストがいれば、大人の女性がバービー人形やキラキラシールを使って独自の世界観を10cm角のポラロイドに閉じ込めた佐藤姿子や、生真面目な顔をしてひたすら「モナド」道を繰り返す重森三明のビデオ等、静観して体を崩さないものもある。
また、田中紀子のバックライトの写真、森秀信の闇を映し込んだビデオプロジェクション、そしてかわいひでのりの床に刻み込んだタイヤの跡など、ともすれば見落としてしまいそうな、空間に対してもまた他の作品に対しても、大きな干渉を避けるような作品も現代の風潮を感じさせる。
崩れ去った共同体意識と個々の自己実現への異なるベクトル。ポートピープルは一体、どこから来てどこへ行くのだろうか。感覚を共有することの不可能性をモノローグ風に表してきた高木哲が、両手をいっぱいに広げたトロフィー大の木彫の像について電話で友人と交わした対話に基づいて、その多様性と差違を浮き彫りにした作品や、鈴木瑶子の波間に漂うピンクのスーパーボールをながめながら、ふと思う。
そして、そっけなく突き放すように会場の中央を大きく占めるcandy factoryのEuro Trash Gardenの中に、多くのポートピープルや他のアーティスト達の往来をみとめ、新しいネットワークの可能性を確信する時、PORT
PEOPLEの往来が、さらに活発に続いて行くことを願う。
2000年 春 名古屋にて 原田 真千子
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