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MEETING CARAVAN MEMO
■ミーティングキャラバン旅先での覚え書きです。 
キャラバン隊、甘利あゆによるレポートです。
photo/甘利あゆ、武藤勇、大友恵里
<<後半戦・西日本シリーズ
'03.06.06/fri いよいよスタート!(Toshiya Noda wrote)



RICE+でのミーティングの様子
朝8時、名古屋駅に集合したキャラバン隊は総勢5名。REAR編集部の井上さんに見送られて、いよいよキャラバンがスタート。ギリギリまで準備に追われたために結局、高速道路を使うことに。車はスムーズに東京入り。14時には向島に到着。やどかりさんこと、藤川悠さんに連絡。RICE+まで(迷走気味に)案内してもらう。いかにも(?)東京の下町といった雰囲気の向島のなかにRICE+はあった。お米屋さんを改築した建物はこぢんまりとして、カワイイ佇まい。そもそも、嘉藤笑子さんがレジデンス施設にと借り受けた建物。今回の東京ミーティングをコーディネートしてくれたFlu Cafeさんは、ここにテナントとして7月まで入居している。特定の店舗を持たず、イベント的にカフェをオープンしている。メニューも豊富でオシャレ。冷たい飲み物で小休止のあと、ミーティングの準備。日が沈みかけたころにミーティングは開始された。段取り通り、中部圏の状況を絡めながらN-markのプレゼンテーション、Fly Cafeさんのプレゼンテーションと続き、当日集まってくれた人たちのプレゼンテーションが行われた。作品のファイル、作品の実物、中には8mmフィルムの映写機まで持ち込んでと様々なプレゼンテーションが行われました。すっかり日も暮れたころには会場から人が溢れるほどの盛況ぶりでした。この街に来て思ったのは発表の場という一つの拠点を作ると言うよりも、クリエイティブな人々が実際に住み着き、生活している、それが街の活力になったり、ひとつのシーンを形成しつつあるということです。

'03.06.07/sat
 爆発間近!?(Toshiya Noda wrote)


ミニチュアでのミーティングの様子。K5のみなさんは何故か正装。
16時30分、水戸芸術館到着。国連少年を見た後、茨城ミーティングの会場ミニチュア・カフェへ。芸術館の真ん前にあるミニチュア・カフェはカウンターにはi-bookが何台か並び、インターネットへ常時接続、デザイン系の雑誌など、オシャレ系本気モードなカフェ。今回のコーディネートは茨城大学の学生を中心に結成されたK5さん。19時を過ぎたところでミーティングスタート。「好きなこと楽しくやってます」という東京の印象に比べ、茨城は「何かやりたいんだけど・・・」というった感じ。東京から比較的近距離にある水戸の人間は何かやろうという人はみんな東京へ行ってしまう。水戸にはおもしろくない、スポットやイベントがないなど、地方都市ではありがちであろう意見が続々。そんな中、みんな知らないだけでいつも満員の美術館や、ワークショップのイベントなどたくさんあるという意見も聞かれました。表現も、趣味趣向も多様化している時代の中で、このミーティングに集まってくれた人たちのアンテナにひっかかる選択肢が少ないというのは問題のようです。また、水戸芸術館学芸員の森さんも参加していただき、芸術館と若いアーティストの距離など、興味深い問題提示もしていただきました。今日はアーティストのプレゼンテーションはなく、水戸(地方都市)をどうするか!?というテーマのミーティングでした。不満、批判、問題は解った、それを解決するためのアイディアが必要だと思いました。しかし、このフラストレーションのエネルギーはいつか爆発して新しい何かを創造すことを期待しています。



'03.06.08/sun
 分校での思い出/東京近郊地方都市(Toshiya Noda wrote)



上から岩間第一分校、前橋文化研究所、群馬ミーティングの様子

茨城ミーティングの夜は、その日もプレゼンをしてくれた水戸在住の鈴木晴奈さんの案内で、岩間第一分校へ。人里離れた、といった雰囲気の道を車を走らせること数十分。闇の中にその廃校になった岩間第一分校はあった。あまり、人には教えたくありませんが、そこがどういう所かはウェブサイトを参照してください。夜も遅かったので早々と就寝させていただくことに。ガランと広い教室に6人布団を敷いて寝るのはなかなか貴重な体験でした。「朝ご飯ですよ」という声に起こされ隣の教室へ。そこのスタッフ、近所の子供、キャラバン隊で車座になって用意していただいた朝食をいただく。夜気づかなかったが、田圃の真ん中にある平屋の建物はいかにも味のある山の分校という佇まい。木の上には手作りの小屋があったり、木にはブランコが下がっている。ここだけが浮世離れして、時間が止まってしまっている感じだった。
そんな贅沢の時間と空間を名残惜しみながら、一路次のミーティング開催地、群馬へ向けて出発。国道50号をひたすらまっすぐ走ること4時間。JR前橋駅にほど近いところに前橋文化研究所はあった。元服飾の専門学校だった2階建ての建物。1、2階ともにホワイトキューブといった風合いで、ニュートラルな空間。現在は若いアーティストの発表の場となっている。コーディネートを引き受けてくれたのはアーティストの八木さん。到着がミーティング開始時間直前だったので挨拶も早々に準備にとりかかり、ほぼ定刻にスタート。開始早々から30人近い参加者で会場はうまった。今回はどうやらアーティストの参加者が多そう。ここ群馬もやはり、首都圏であるということで、東京へ人や情報が流れて行ってしまっているようだ。水戸と同じように同じ価値観を持った人間が少なかったり、自分たちのやっていることが市民の選択肢に入っていない(お客がいない)という現状は同じようです。
明日からは東京からどんどん離れていきます。どんな人たちと出会えるか楽しみです。



'03.06.09/mon 迷走(Amari Ayu wrote)

昨日は今回初寝袋でスペースの床に寝た。
11時頃出発。次の青森までは二日空きがあるため、仙台観光をすることに。
下道で前橋からは7、8時間くらいと予想し行ってみたら、
なんと宇都宮に出るまで8時間くらいかかった!
ずーっと山道で、夜はおまけに深い霧に遇い、更に私のナビ下手で
険悪な感じになるし、で大変だった。
結局宇都宮からは高速道路で仙台へ。
12時頃仙台到着。泊めてもらう小島さんと合流し、
軽くごはんを食べ、小島さんちでお酒をいただき3時頃就寝。


'03.06.10/tue テールスープ(Amari Ayu wrote)



上から。松島、仙台、牛タン

小島さんちで、お布団がないと言われたのでまた寝袋で寝た。
お昼頃、天文台展示室と城跡をまわった。
今回初めてゆっくりと観光した。ちなみに城跡で恋みくじを引いたら中吉で、意外な人が仲立ちしてくれるかも、だって。びみょーだわ。
仙台駅から徒歩20分くらい離れたところに川があり、スーパーで総菜買って川辺で食べた。
その川は水もきれいで鴨川のようにいい意味で手入れされてなく、一瞬海にも見える。空気もうまかった。
せんだいメディアテークをサクッとみて、2時30分頃お世話になった小島さんと分かれた。今日は仙台の近く石巻市で泊めてもらう予定。
で、途中日本三景のひとつ松島へ。
しかし、着いたのが4時過ぎで、守さんを待たせるのも悪いので、滞在は1時間くらい。
松尾芭蕉の、
松島や ああ松島や 松島や
と詠うほどではなかった。芭蕉はどこから松島を見たのかしら。
6時守さんと合流。早速海の見える温泉へ。女風呂は貸し切り状態で眺めもなかなか、露天もあり満喫。ごはんを食べに行く途中、サンファン館と石ノ森漫画館へ。しかし、8時過ぎだったため真っ暗。サンファン館は海沿いで船が浮かんでいて、その中を見られるらしいけど、夜はライトアップもしてなくて。シルエットだけ見た。石ノ森漫画館は、ただ石ノ森章太郎が石巻の映画館によく来てた、という理由で作られたものらしく、建物は石ノ森章太郎が描いたものそのままを作ったらしく、白い宇宙船ぽく、変なおもしろいものだった。石ノ森章太郎はかなり喜んだだろうな。建設中に亡くなったらしいけど。
牛タンが名物らしく、守さんがたまに行く牛タン屋へ。メニューをみたら、牛タン、テールスープ、むぎめしのみ。あとはお酒が少し。牛タンも上手かったけど、テールスープがかなりおいしく、特に武藤君が絶賛。初めての出会いだったらしい。私たちが食べている間、守さんは近くで打ち合わせに行ってて、終わったあと、打ち合わせ先の人たちがバーでごはんを食べているというので合流。そこで石巻の地酒すみのえ(確か)をごちそうになった。
30代後半くらいのサラリーマンの人たち2人と20代のOLさん1人で、キャラバンの話をしたらすごく応援してくれて、更に自分達の夢も話してくれた。
楽しいお酒だった。基金も3口くれた。


'03.06.11/wed 弘前ドリーム(Amari Ayu wrote)



上から、吉井酒造レンガ倉庫、ミーティング風景、止めて頂いたお寺。

7時30分頃起床。
今日は18時から弘前でミーティング。
守さんに泊めてもらったにもかかわらず、昨日飲んだ地酒や、牛タンの味噌漬けを手土産にくれた。
途中まで守さんに道案内してもらい、9時頃お別れを言い、青森に向けて出発。今日もできるだけ下道で行く。
道中見える景色がきれいだった。山々で、川が細く流れていたり、またたんぼも多く、その中を単線の列車がコトコト走って行く。
下道ならではの楽しみだ。
しかし、時間が足りず秋田の鹿角八幡平から高速で弘前へ。
17時頃、無事会場に到着。
荷物をおろし、今日泊めてもらうお寺へご挨拶に。そこは、奈良美智展を行った際にボランティアの人たちが宿にしていたところらしく、お寺街と言われるところにあった。
18時頃、奈良美智展が行われた会場の吉井酒造レンガ倉庫を実行委員会の方達など6、7人で見学。しかし現在は入れず、外観のみ。
19時過ぎ、ミーティング開始。
今回は25〜30人くらい来てくれた。
奈良美智展の関係者やボランティアだった方、また市役所の方や青森市内にある国際芸術センターの方などがプレゼンをしてくれた。
印象としては、近々県立の美術館ができる予定だったり、国際芸術センターでレジデンス制度があったり、と公的機関が動いている。が、それに対し、地元のアーティストがなかなかいない、というのが現状で、場所ができつつあって可能性があるのにそれが上手く機能していけるのかが気掛かりで、やりようによってはもったいないままで終わっていってしまうかなと感じた。
21時過ぎ、場所を近くのレストランに移す予定だったため、ミーティングは個々の活動のプレゼンを終え、一旦区切りをつけることに。で、レストランで食事しながら各自話をした。
23時過ぎ、店の都合と来た方達の電車の時間もあり終了。
私たちは宿泊先のお寺へと向かった。


'03.06.12/Thu はっぱ貝焼(Amari Ayu wrote)



上から、青森国際芸術センター、はっぱ貝焼

今日は青森を少しまわり、本州のさきっちょ大間から函館行きのフェリーに乗って北海道入りする予定だった。
しかし、昨日のミーティングの方付けをしたり、午後から青森市内に移動し、青森国際芸術センターと、今度できる青森県立美術館の事務局にいったりして、結局夕方になってしまい、フェリーには乗れなかった。
美術館はレジデンス制度も設ける予定らしいが、近代絵画などの展覧会もやらなければならないらしく、どのように展開していくか、思考中のようだった。
事務局の方にむつ市なら大間に行きやすく、温泉もあるということでむつ市へ。
21時頃むつ市に着き、温泉へ。
23時頃、閉店近くの居酒屋へ。そこはおばちゃんひとりでやってる小さなところで、ほたての殻に大根の葉とイカの塩辛をのせて焼いたのがめちゃめちゃ上手かった。
でも宿は見付からず、今回初!の車で寝ることになった。






'03.06.13/Fri ウニ(Amari Ayu wrote)




上から、恐山の風車、金森赤レンガ倉庫

6時半頃車内にて起床。すぐ日本三大幽霊場の恐山へ。
7時過ぎ、恐山到着。しかし、今日は生憎雨で、傘が一本しかなく二人で使うことに。
恐山は硫黄の臭いがプンプンしていたり、見渡す山には霧が怪しくかかっていてかなり雰囲気を漂わせていた。
9時頃恐山を出る。
そういえば昨日の夜、青森でうにを買ったのがあり、半分食べて武藤君の分を残しておいたら、誤って落ちてしまい、武藤君のテンションを下げてしまった。
10時過ぎ大間に到着。
NHKの「私の青空」の舞台になったところで、ロケ地案内の看板があったりして、少し武藤君がはしゃいでいた。
海岸を歩いたら、武藤君がうにを見つけ、私が海の中に入り捕りにいくはめに。しかし、武藤君の機嫌が少しなおったため安心。
11時30分、捕ったウニと共にフェリーに乗り本州をあとにする。
13時頃、函館に到着。
金森赤レンガ倉庫などめぼしい観光地に足を運んだ。
今回は素泊まりの宿をとったのでちゃんと布団で寝られることに。しかし、傘を買わなかったせいで、武藤君が結構雨に濡れ、少し体調を崩してしまった。
大間で捕ったウニを大切にとっておいたが、夜宿に戻った頃にはかなり弱っていたため、結局食べてしまった。


'03.06.14/Sat 実験住宅(Amari Ayu wrote)



上から、PRAHAの展示スペース、河田邸

6時半頃起床。
今日は小樽経由で札幌入り予定。
14時頃、小樽に着きガラス館など観光。
18時頃、札幌でのミーティング会場のPRAHAに到着。
代表の大橋さんに会う。
今日はPRAHAで展覧会のオープニングらしく、夜参加することに。
プラハは元病院だったところを改装し、スタジオとして、8人でシェアしているらしい。
1階の入り口を入るとすぐ展示スペースになっている。
大橋さんは建築を仕事にしており、事務所として使っている。
展示や展覧会の企画は(金銭面も)ほぼ大橋さんが一人でやっているらしい。
他のメンバーはアーティストが多く、みんなそれぞれ製作場所に使っているとのこと。
なかなか面白いスペースだ。
で、オープニングパーティーにに参加。いつもゆる〜い感じでイベントなど行っているらしく、今回もそんな感じがした。
今日明日と、PRAHAの一人河田さんの仕事場に泊まらせてもらうことに。
PRAHAからは車で15分ほど離れたところにあり、40年ほど前に実験住宅として建てられた家らしい。
庭や小さな池もあり、少し北欧風な素敵な場所だった。


'03.06.15/Sun インドカレー(Amari Ayu wrote)



上から、温泉街でインドカレー、ミーティングの様子。

9時半頃起床。
今日はPRAHAでミーティング。
しかし、14時予定のため札幌観光はあまりできなかった。
で、せめて温泉だけでも、と朝に豊平峡温泉へ。市街から2、30分くらい離れた山の中にあり、なぜかそこの食堂はインドの人たちがカレーを作っている。
風呂上がり、昼食にそこのカレーを食べた。
帰り道、お祭りの影響で少し込んでいて、プラハに15分くらい遅れて到着。
この日は晴れたため、プラハの庭でミーティングをすることに。
緑に囲まれた中でゆるやかに行われた。
お客は15人程度で、だいたいプラハによく来る人だったらしい。
プラハのメンバーが個々にやっている活動だったり、また去年キグツで個展をやった吉田ひかりさんも現在の計画を報告してくれた。
みんな長期単位でのプロジェクトを、迷いながらでも楽しみながらやっているようである。
なんでも挑戦することが大事なんだと改めて思った。
で、21時頃までお酒を飲みながら話していた。
帰り、札幌といえばラーメン、ということでラーメン屋へ。
なかなか上手く、満足し河田邸へ今日も宿泊する。


'03.06.16/Mon さらば北海道(Amari Ayu wrote)



上から、支笏湖、北大森の中、。

6時頃起床。
今日はいよいよ北海道を離れる。北の旅も折り返し地点。
また函館〜大間12時半発のフェリーに乗る予定で早起き。
しかし、苫小牧〜仙台のフェリーが夜出て翌日の朝着くのがあった。
おまけに、私が昨日行った温泉に指輪を忘れたため、指輪を取りに行き、苫小牧発のに乗ることに。
札幌にいられる時間が延びたため、時計台を見に行った。
こんな学校が明治時代の町並みにあったなんてすてきだろうな、など勝手に妄想にふけっていた。
お昼過ぎ、札幌を立ち苫小牧へ。
途中、大きな湖があり、波がたっていて海のようで不思議だった。
15時半頃、苫小牧に着きチケットの手続きをする。乗船の時刻まで時間があいたため北海道大学の研究林へ。林の中、いつのまにか武藤君と離れ一人で歩いていたら、木の根本でセミがもがいていた。広い自然の中、生き物が死んでいくのはそんなに重要なことではなく、時間の流れの一部にしか過ぎない。
今回の旅で武藤君に指摘されたことや、自分の甘えに涙が出てきた。
港に戻りフェリーに乗船。一泊する船だけあって、行きのフェリーとは大きさや設備がかなり違った。船内のレストランでごはんを食べたり、またプチコンサートを見たり、また韓国映画が上映されていたから、それを見たりして、堪能した。


'03.06.17/Tue (Amari Ayu wrote)


上から、おびはち外観、ミーティングの様子

7時頃起床。
今日は山形でミーティング。
9時20分、下船し仙台に到着。で、山形に向けて出発。仙台〜山形は車で1時間弱と言われたが、下道は山道で実際には2時間程かかった。お昼過ぎ、今回の会場オビハチに到着。山形には昔ステイタスとして蔵を持つ人が多かったらしく、今でも
たくさん蔵が残っている。オビハチは使われなくなった蔵を東北芸術工科大学の学生が改装したしたところで、蔵プロジェクトということで、5月から6月1日までの約1ヶ月間カフェと作品の発表の場として運営していた。7月からは蔵の持ち主がバーとして改装して営業する予定で、私たちが行ったときはちょうど改装前の何もしていない時期だったらしい。とても居心地のよいシンプルな空間だった。
ミーティングの予定は17時からだったが、みんな外で話して盛り上がったりして19時近くにその流れで始まった。
コーディネーターが東北芸工大の学生ということもあり、今回はそこの学生や卒業生がほとんどで20人くらい来てくれた。蔵プロジェクトの話と、東北芸工大の卒業生や在校生でやっているA-PLEというグループが「ライブラリープロジェクト」のプレゼンをしてくれた。彼等のプロジェクトはB4サイズくらいの段ボールでできた本型の箱に
作品をいれ、それを本棚に並べ図書館のように一定期間貸し出す、というもの。借りた人は作品を家で楽しめる。アート作品は高価で気軽には買えず、またギャラリーなど決まったスペースにいって鑑賞するものという一般的な考えを崩すことで、作家や鑑賞者にとっても新たな可能性のあるプロジェクトではないだろうか。
この日学生の方達が食べ物を作ってくれたり、またコンテンポラリーダンス研究会のメンバーの方達がダンスを披露してくれたりたと、夜遅くまで盛り上がった。
蔵の二階は呉座が敷いてあり、私たちはそこで宿泊した。


'03.06.18/Wed カンボジアの悲劇(ネタバレあり)(Amari Ayu wrote)


芸工大

12時頃起床。
今日は久しぶりにのんびり過ごした。
夕方、東北芸工大でドキュメンタリー映画の上映があるということで、学校へ。前回の山形ドキュメンタリー映画際グランプリ作品で、カンボジアのものだった。ちなみに映画際は2年に一度で、次回は今年の10月行われるらしい。さすが山形。学校で映画際の作品が見られるのが羨ましく思った。
作品はカンボジアにケーブルを引くという政策があり、その影響で多くの国民が作業をしながら旅をしていく姿を追ったもの。土を掘ってケーブルを埋めていくのだが、外で人がお茶しているすぐ横などをどんどん埋めていく。日本ではありえない状況だ。賃金は1m単位でもらえる。けして条件はよくないようだ。労働者はだいたい家庭を持っていて、家族も一緒に移動していて生活が楽ではない。オチを言ってしまうと、責任者がみんなの賃金を持ち逃げしてしまい、怒りと悲しみにみんなひしがれてしまう。多くのシーンを固定で撮影していて、作者が労働者などにインタビューしながらというスタイルではなく、あくまで客観的な作りになっていると思う。しかし、それが逆に嘘臭い気もして、実はこれは作り込まれたものではいかという感じにも見えた。情報が反乱する時代、何が事実で何が作られたものなのか、境界がどんどん薄れてきていて、ドキュメンタリーというカテゴリーもそれと同じ状況になりつつあるんだと感じた。
と、こんな感想を書いてみたけど、実は少し寝てしまった。。
その後、今回のコーディネーターで芸工大の院生川崎さんのゼミ室に行った。そこで、大学の先生で写真家の山崎ひろしさんと、展覧会などを企画したりしているという木場さんに会った。少し話をした後、蔵を二人が見たいということで川崎さんと一緒に蔵へ。
で、その後近くの寿司屋に行った。食べた後、山崎さん達とは別れ三人で蔵に戻り、お酒を飲みながら3時頃まで歓談。しかし、私はお酒がまわりいつの間にか外の椅子で寝ていた。


'03.06.19/Thu 酒と温泉の日々(Amari Ayu wrote)


上から、銀山温泉町並み、銀山温泉滝。

9時頃起床。
一人起きて近くの酒屋におみやげの地酒を買いに。朝からお酒を試飲し、ほろ酔い加減で蔵へ戻る。
今日は川崎さんと温泉に行くことになっており、芸工大へ。昨日ダンスを披露してくれた丹野君が道案内をしてくれることに。おすすめは山形市から車で1時間半ほど離れたとかろにある銀山温泉で、おしんの舞台のところらしい。ちょっと武藤君のテンションが上がる。細い川沿いにいくつもの古い建物の旅館やおみやげ屋が並んでいて、急に
タイムトリップした感じのところだった。その風景にみんなで興奮気味になった。旅館の温泉に入り、川崎さん達は大学に戻らなければならないということで、二人で観光した。川を上っていくと滝があった。山になっていたので登った。そこは元々銅など金属を掘っていたところらしく、それによってできた洞窟がいたるところにある。なかに入るとひんやりし、自然の冷蔵庫のようで気持よかった。
山の先に行くと、集落跡地という案内があったのでいってみた。しかし、城跡のように何か案内が出ているわけではなく、本当に何もなくただ山と草原が広がっているだけだった。夜になると真っ暗で、純粋な夜になるんだろう。一人昔話の世界にふけっていた。
温泉街に戻り、日が落ち始めた頃、おみやげ屋でお酒とお猪口を買い、滝を見ながら飲んだ。帰りに無料の浴場に入った。お風呂から上がり一人着替えていると、急におじさんが入ってきた。浴場の管理人らしく、閉める準備をしにきたよう。すごく驚いた。が、服はだいたい着ていたので間一髪セーフ。
21時半頃、蔵に戻り今までのミーティングのビデオを編集した。


'03.06.20/Fri ネオンホール(Amari Ayu wrote)


新潟を通過中。

8時頃起床。
今日はいよいよ山形を離れ長野へ。
泊まらせてもらった蔵は、今後蔵の持ち主が喫茶店として運営していくにあたり改装をするらしい。その作業がちょうど今日から行われる。私たちはいいタイミングで滞在できた。今は隅に階段があるのだが、真ん中あたりに階段を作り、吹き抜けのようにしたり、壁際にはカウンターを付けるなど、結構大幅に改装してしまうらしい。そんなわけで、工事の方達が来る前に出発。
今日も下道で新潟を通り長野ナノグラフィカへ。着いたのは9時頃だった。ナノグラフィカの近くにネオンホールというバーがあり、ナノグラフィカのメンバーのひとりがが運営をしている。着いたとき、みんなそちらにいるということで荷物を置きネオンホールへ。
行くと、アーティストの岡本光博さんがいた。現在、長野市内でおぼうさんの作品の行脚中で、今日はネオンホールに設置されていた。
岡本さんと軽くごはんを食べに一度出かけ、その後、ネオンホールで一杯のみナノグラフィカへ戻った。ナノグラフィカも二階が泊まれるスペースになっており、岡本さんもずっと滞在している。今日はそこでの宿泊となった。


'03.06.21/Sat ソフラン(Amari Ayu wrote)



上から、岡本氏による「ソフラン」、ミーティングの様子。

9時半頃起床。
今日は長野ナノグラフィカでミーティング予定。
ミーティング前の10時〜2時まで、岡本光博さんがソフランという企画を披露。9人で輪になって1人をハンドパワーで浮かせるというもの。参加者は4時間トイレもおしゃべりも許されない。私は観客として見ていたが、やはり4時間は少しきつく、寝てしまったり、途中ごはんを食べに行ったりしてしまった。1人を囲み9人が片手を向けている姿は、やばい宗教のようにも見え、かなり怪しかった。建物が外からも見やすい作りになっているため、途中で若い観光客らしき集団が面白がって見ていたり少し冷やかしたりしていた。知らずに見るとかなり抵抗感のあるものでも、その輪に入ってしまうと実は大したことはなく、逆にそれが楽しく当たり前になったりもしてしまう。そういうことが見えたのが私には面白かった。
ソフランが終わり、14時過ぎミーティング開始。今回は15〜20人くらい。
岡本さんに加え、企業の方や、学校の先生、地元で制作をしている作家さん達などが来ていた。ナノグラフィカというのは、甲州大学出身(偶然)の男女4人グループで、今年の4月より善光寺の近くにある元治療院を改装し、1階は金斗雲という名前のカフェとして運営している。2階建ての古いおうちで、中庭には井戸があった。彼女たちは別にアートだけに限らず、自分達が面白いもの、興味あるものをマイペースに行っている感じである。長野も比較的東京に近いため、地元で活動する人は少ないようで、制作している人もあまり長野にはこだわっていないようだった。
ミーティングは緩やかに18時過ぎ頃まで続き、その後2階で少しお酒を飲んだりした。
で、私は23時頃、今日のミーティングのビデオを編集し、今日も2階で3人川の字で就寝。


'03.06.22/Sun 前半戦終了(Amari Ayu wrote)



上から、善光寺、+Gallery外観、展示スペース。

5時半頃起床。
今日はいよいよ前半最後のミーティングをしに愛知へ戻る。善光寺では毎日お朝事というものがあるらしく、一人早起きし見物に。お坊さんが歩いており、そのそばでしゃがむと、数珠で頭を撫でてくれる。せっかくなので私もしてもらった。
善光寺から戻り、車に荷物を入れていると、カフェ担当のたまちゃんが来て、私たちにコーヒーを入れてくれた。おいしいコーヒーだった。また、武藤君の知り合いでEPSONの丘本さんが松本まで先導してくれるということで来てくれた。
8時半頃ナノグラフィカを出発。
途中、小布施町によって一ノ蔵酒造やその周辺を歩き、山を越え1時頃松本へ到着。そこでそばを食べ温泉に行った。昔、お殿様が使用していた温泉らしく、上品な 雰囲気が漂うところだった。
少しゆっくりしすぎたのか、松本を出るときにはもう14時半頃だったため、丘本さんにお別れを言い、高速で愛知へ。途中、武藤君の目が眠そうでやばかった。17時過ぎ、今日の会場江南にあるプラスギャラリーへ到着。
そこで野田さんと合流した。さっそく準備し、18時過ぎミーティング開始。地元だけあって私の知人もいるかと思っていたが、知っていたのは、
東京ミーティングに一緒に行った水野君くらいで少し驚いた。お客は20人くらいだった。+ギャラリーというのは、七福邸というギャラリーだったところを、今年1月の半ばより平松さんなど5人作家が新しく発表の場としてオープンしたところらしい。元々はうどん屋で、二階建てでキッチンもある。が、飲食はしておらず、物販と展示を行っている。今日は午後からメンバーの一人、ジャガ一郎さんがお笑い芸術道場というレクチャー(ワークショップ?)をやったらしく、そのプレゼンをしてくれた。本人も試行錯誤中らしいが、みんなでお笑いについて話したり、また実際にやったりゆるい感じで楽しく行っていくらしい。私も少し参加したくなった。
やはり、地元ということもあり、名古屋のアート事情も話題に。名古屋(近辺)には自主運営のスペースが結構あり、またギャラリーもあるため比較的恵まれているが、外から見ると元気のよい街に思われるらしい。しかし、実際にはアート人口は少なく、誰かと知り合えば、すぐ繋がりができてくる。それは、いい面でもあるが、その中だけに終わってしまい、外へのネットワークが広がりにくい気がする。また、アート活動に対しなかなか公的資金を得られない。名古屋に対して問題点を感じていながらも、それをどう解決したらいいのかみんな考えているようである。
終電が早かったり日曜だったせいか10時頃にはお客さんは帰り、+ギャラリーの方達とごはんを食べ、帰りは野田さんが送ってくれるということで、そこで武藤君と特にあいさつもせずなんとなく別れた。今回の旅でいろいろな人と出会い、勉強になった。アートという面だけに限らず、みんなやりたいことを持っていて、自信満々ではないながらも一生懸命楽しみながら苦しみながら前進しようとしている。それは、人として魅力的ですばらしいことだと感じた。12時頃、野田さんにお礼を言い、家に帰って冷蔵庫にあった牛乳を飲んだら腐っていた。

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